1672年 百浦添の龍頭を製作した(由来記一千年記)
1670年 中国福州にて五色玉焼法を稽古して帰り、
湧田原に新屋敷を拝領。
1680年 平田典通、首里桃原に家屋敷拝領、首里居住。
(首里城改築工事の為に、首里桃原に移居して宝口窯監督の任にあたり、
龍瓦等の焼成に従事し、その事業が完了した為に、この窯を閉ぢた
ものであろう。宝口が宿 田以前からあったものか、その時の開窯であるかに就いては文献の徹すべきものがない。)
○ 参考文献より
1671年 首里城正殿再建竣工する。
(1682年 首里宝口窯元廃止。)
1682年首里宝口窯、湧田窯、知花窯の陶窯を牧志に統合する。
1683年 一旦取り付けた龍頭が意に満たず、再び尚貞自身の意匠を加えて改造されたものと思われる。
大小の琉球石灰岩をあいかた積みの壁、石垣。
たからぐちヒージャー
首里宝口樋川


宝口ろまん
モノレール儀保駅より徒歩約5分

儀保町は宝口樋川で知られているが、
手漉琉球紙工房焦紙庵もあり、
かっては、近くでウチ紙が作られていた。
宝口樋川への入口。

平田典通(ひらたてんつう)
首里城の龍頭を製作する。
又、首里宝口窯で龍瓦が焼かれ
たものといわれる。
(銭紙)
宝口樋川のそばを流れる
儀保川。
20年前までは、湧き水が絶え間なく流れ、かっては
生活用水に利用されていた。
(首里出身)